urab です。
筋トレを継続していると、今までやっている自分のやり方が当たり前になります。
だったらもう少し基準を上げていこうと頑張る人もいると思います。
上げた基準でより理想に近づけるのでしたら、とてもいいですね。
たとえば、学生の時スポーツをやっている方、何かと競うような体験をしている方であれば
同じように頑張っているはずなのに、全然作っている結果が違っていることで衝撃をうけたような体験はありますでしょうか。
そういうとき、その人はきっと才能があるに違いないと思うのかもしれません。
果たしてそうでしょうか。
才能はあるかもしれません、でも、想像している以上に見えないところで努力しているんじゃないかと思います。
本気で努力している人はその延長線上に何かの目的があるので、
努力していることを人に言うことに労力を使わないはずです。
織田信長は以下のように言っています。
生まれながらに才能のある者は、それを頼んで鍛錬を怠る、自惚れる。しかし、生まれつきの才能がない者は、何とか技術を身につけようと日々努力する。心構えがまるで違う。これが大事だ。
本当は才能がもともとある人は要領よく切り抜けたから、努力をそこまでしなくてもいい癖がついてきたんじゃないかと、
私はそんな気がします。
要領よく切り抜けられる人がさらに努力を継続できるととんでもないことになりそうです。
要領がよくないとわかっている人は人の数倍努力をしたほうがいいですね。
私自身は後者かもしれません。
だったらもっと大きく変化している人が何をしてそう変化をしているのか、自分がその人、もしくはそれ以上の基準で努力できているか、理解して、
素直に実行していくといい結果ができるかもしれません